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第4回 ふんばりどころ
クラスメイトは機関銃のようにしゃべりまくる超積極的人間ばかりで、私が授業中にしゃべれない…などと、一人悩んでいるうちに、どうやら「しゃべらない=いない」という風に思われたらしい。要するに、話さない人は存在を無視されるのだ!これはかなり堪えた。私なりに英語力、特にSpeakingとListeningを鍛えようと思ってきたのに、全然ダメじゃんって思って、本当人知れず隠れて泣いてしまったこともあった。というわけで、かなりナーバスになっていたのだが、ここでがんばらないとシドニーくんだりまで来た甲斐がない。このまま日本に逃げ帰っても、外資系の会社で働く限り、英会話でもたつくし、口数が少ないままだと、甘く見られる…そう思う気持ちが一番大きかった。
クラスの先生に相談したり、また、オージー家庭にホームスティを始めたこともあり、ちょっとづつなんとか会話に慣れようというか、英語で話そう!と努力し始めた。それに、冷静になって考えると、機関銃のようにしゃべるクラスメイト達は、結構間違えた英語を使っている!私は出来るだけ正確な英語を話そうとして、話す前に頭の中で考えてしまっていたが、彼らはそんなことはない、ぱっと口に出てしゃべってしまう感じ。これは、私だけでなく、ある年齢以上の日本人生徒はみな思い当たると思うんですが、つまり、中学高校でずっと、Writingや文法などばかりを勉強させられてきて、ListeningやSpeakingの授業が全然なかったったので、生の英会話に全然慣れていない。これじゃあ、しゃばれるはずないじゃん。戸惑って当たり前だよって、勝手に開き直った。
それに、よぉーっく、観察していると、なんだ、私の英語の方が正確じゃないってのが、いくらでもあった。それで、私も機関銃クラスメイトのように、間違えてもいいから、とにかく話すことから始めた。これはある人から言われたのですが、英語のネイテヴじゃないんだから、間違えて当たり前!間違えたら言い直せばいい!と。そうやって、自分で訂正するうちに、だんだんと正確に英語を話せるようになるとも言われました。これは目からウロコでした。そうだよ、最初から完璧に出来るわけないって思うと、かなり気が楽になりました(^_^;)
でも、機関銃クラスメイトは手ごわいので、私がなんか話そうとしても割り込まれることが多かったので、そういう時は”Listen to me!"と言って、注目を引くことも大事だと、クラスの先生にアドバイスされました(ただし、あまりやると逆効果) そうこうするうちに、機関銃クラスメイト達もだんだんと私の話を聞いてくれる人が増えてきて、休み時間に話したりする機会もできました。それまで、私は彼らをちょっと怖く思っていたのですが、話してみると、別に普通の人間でした(当たり前じゃん(^_^;))
というわけで、シドニーでの生活も慣れてきて、ちょっとづつですがSpeakingとListeningの力も上達してきたような気がしました。
(続く)
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2005.05.09筆 |
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第3回 リスニングに苦労する
語学学校での初日、まずレベルチェックを受けました。どんなテストだったか忘れましたが、私が今まで日本の中学・高校で受けてきたReading、Writing重視のテストではなく、筆記テストはListeningが重視でした。スピーカーから英文が流れてくるが、全然わからな〜いと焦りました。その後、先生とのインタヴューがあり、ここでもしどろもどろ…。それまで、日本で英会話スクールに行ってましたが、そんなのがふっとんでしまうほど…。とりあえず、結果はIntermediate(中級)のクラスでした。しかし、いざ授業が始まると、テキストブックといい、やっていることは本当簡単、中学生レベル?でがっかりしました。
そこで、他にも同じクラスの2〜3人の日本人が、やっぱり簡単すぎると言い、先生に交渉して、一つ上のUpper
Intermediate(中上級)のクラスへ。しかし、このクラスは個性的な人が多く、英語が間違えても物ともせず機関銃のように、しゃべりまくるヨーロピアン、韓国、中国の人がほとんどで、気の弱い(?笑)私は圧倒されっぱなしでした。グループワークでディスカションする時も、この方達が一方的に話し、私はほとんど話せず…。
また、大学付属の語学学校だったので寮に入っていたんですが、こちらもオージーの大学の学生ばかりで、リスニングに弱い日本人の私など、歯牙にもかけない雰囲気でした。何回か食事の時に、話の輪に入っていこうと試みましたが、早すぎて何を言っているのかわからない!(今思えばあれがオージー訛り?) その寮には語学学校の生徒は誰もいなくて私だけ。語学学校の他のクラスメイト達は、ホームスティ先でわりかし家族と仲良くやっているのを聞くと、寮を出てホームスティをしたいという気持ちが強くなってきました。
また、その寮を去る時の手続きというか寮の理事長との交渉が、泣かされました。とにかく、早すぎて何を言っているのか何度聞き返してもわからない・・・。本当もう嫌になり日本に逃げ帰りたい気持ちに何度なったか。リスニングはダメでも紙に書いてもらえれば、当然理解できるので、もう筆談で交渉しました。留学斡旋会社を使ったので本当はこういうことをやってもらいたかったけど、してくれませんでした。
また、キャンセルした寮費を返して貰ったのですが、向こうは日本と違って返金は小切手!それを銀行に持っていき、私はシティバンクしか口座を持っていなかったので、この口座には入金出来ないとか、いろいろな部署をたらい回しにされ、オーストラリアの国内銀行に口座を開いてやっと入金できたのでした。
上記のことはオーストラリアに着いて約一ヶ月の間の出来事で、この時点では私は『日本に帰ったら二度とオーストラリアへ来るもんか!』と、本気で思ったのです。
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2004.12.21筆 |
第2回 出発準備から出発まで
まずは学校選びですが、当時ブランド志向の高かった私は、某大学の付属の語学学校のGneneral
Englishコースにしました。で、問題は入学手続きですが、業者に任せました。でも、当時7万円という金額ではっきり言って高かったです。後から人の話を聞き、よく考えると自分で十分入学手続き出来ました。いや、英語力を伸ばす為に、ぜひ自分一人の力でやった方がいいでしょう。この点に関しては後悔しました。それに、その業者は業界でもあまり評判もよくなく、サポートに関しても?って思うことがいくつかありました。
で、なんだかんだ言っているうちに、とうとう留学の日が来ましたが、時期がハイシーズンなのか10月の連休に重なったせいなのか、成田〜シドニー間のエアーチケットが高いし、席も予約待ち状態に…。あせるRica。とっとチケット抑えておけよって(^_^;) やっと、学校が始まる前日の朝到着するキャセイパシフィックの席が取れました。でも、香港で乗り継ぎなんだよねぇー。直行便がよかったけど、だいぶ高くなっちゃうのでキャセイにしました。
夫に成田空港まで送ってもらって(そう、夫がいるのに、一人留学してしまうほとんど妻失格のRicaでした←ほとんど開き直り(^_^;))、飛行機の中でも英会話の本を見て、少しでも英語力を上げておきたいと、今思い出すと、けなげなことしていたなあ〜と思います。今じゃサボり過ぎで、英語力が下がる一方(^_^;)
飛行機の中ではほとんど眠れず、隣の席は白人のおじさんで、なんか話しかけてきそうな雰囲気だったのですが、英語で話すのが怖くて(留学しに行くのになんのこっちゃ(^_^;))、ひたすら目を合わさなかったRicaです。今なら、タダで英会話の練習出来る♪とばかりに、ナンパ目的のアブナイ人以外なら、喜んで英語で話します。(例え、相手が日本語で話しかけてきても、日本人以外なら英語で通そうとするムチャクチャな女です、はい)
で、やっとシドニーの空港に着きました。朝早くにです。10月は日本は秋ですが、あちらは春。でも、ちょっと肌寒かったです。空港に出迎えサービスもあったのですが、ケチって頼まず自力で行くことにしていました。しかし、やっぱり頼めばよかった〜と後で後悔するRicaでした。ちゃんちゃん、なんか留学日記みたいになってしまいました(笑)
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2004.12.01筆 |
第1回 そもそもなぜオーストラリアへ行くことになったのか?
なぜオーストラリアへ語学留学することになったかと言うと、
1.英語力特に英会話力を伸ばしたいから 2.留学というものを一度してみたかったから この二点につきます。
まず1ですが、何で英語力を伸ばしたかったかと言うと、Ricaは外資系の会社でずっと働いていていて、英語ですんなりコミュニケーションしないと、自分の実力が日本人以外の外国人にはわからない、認めてもらえないってことが多くて、何回も悔しい思いをしました。まあ、相手が対外国人じゃなくてもその他もろもろ悔しいことがあって、それで、負けるもんか今に見ておれ〜と思った次第です。
で、2ですが、一度日本を離れて暮らしたかった、留学というものをしてみたかったんです。それまでたま〜に、海外旅行をする位で、ほとんど日本に閉じこもりっきりだったものですから、人生一度位は…と思いました。
それで、なんでオーストラリアにしたのか、英語圏の国ならアメリカもイギリスもあるのに…。それは、ただ時期が秋から冬にかけての頃だったので、寒いのが苦手なRicaはこれから夏になる南半球に行きたかっただけなんです(笑)それと、イギリスはちょっと遠くて旅費や授業料なんかも高かったので、オーストラリアにしました。どうせ、オーストラリアに行くなら、第一の都市シドニーに行ってみようと思いました。
とまあ、こんな理由でオーストラリア、シドニーに三ヶ月の予定で語学留学することになりました。しかし、実際は三ヶ月では済まなかったのです。
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| 2004.10.22筆 |